2026/08/13
2026/07/16
「のぶしな」DCP初号試写
夏至を過ぎた6月23日。
なんてシアワセなな一日だったのだろうか。
「のぶしな」の映画づくりに関わってくれた被写体の方々、製作協力してくれた方々、スタッフたち総勢41人が集まって、東映撮影所のシアターで完成した映画を試写した。
この前日の私は、まるで遠足前の子どものようだった。
ほんとうに完成したんだーという実感と大きなスクリーンで整音した音をきちんと聞くことができるこれ以上ない環境でみんなに観てもらえることが、ただただ嬉しくて、感謝でいっぱいになった。
ロビーは思ったよりずっと広く、ここなら上映後にみんなで話ができる。
そして大泉学園の駅ビルで買ったお弁当を2階の休憩室で食べた。掲示板を見たら今日のDCP試写は14:00〜「のぶしな」17:30〜「見上げてごらん」だった。偶然だけれど、編集の小原さんが仕事をした2作品が並んでいた。
あずあずがやってきて、フライヤーのコピーなどしてきたり、受付周りを作ってくれた。
13:30になって、私と柳屋さんは音と映像のチェックでシアターの中に入った。シネコンのようだった。こんなすごいところで自分の映画が見られると思うとテンションが上がりまくった。
チェックが終わってロビーに出ると、今までお世話になった人たちがいっぱい・・・。信級からの御一行も到着していた。チカオさん(ジジ)、和正さんと重鎮の顔があり、ほんと嬉しかった。純子さん、長針さん、マガラさん、小沢酒造の美由紀さん、てっちゃん、浅野さん、植野くん、西川さん親子、玉井さんご夫婦、長野からはるばるやってきてくれた。
高桑さんの娘さんのアスカさん、「風のたより」を自主上映してくれて、私に植野くんを紹介してくれた、かめ設計室のハブちゃん・山田ちゃん、千葉のチーズ工房千の千代ちゃん、大阪から「空想の森」の録音部・岸ちゃんも駆けつけてくれた。
上映前、私はスクリーンの前に立ち、ご挨拶をした。みなさんがいたから完成することができた感謝をお伝えした。完成を前に旅立ってしまった茂人さん、辰己さん、マルカさん、キミエさん、近江さんたちもきっとここに見に来ていると心の中で思っていた。
そして上映が始まった。
画はもちろん、やはり音が素晴らしくよかった。そして今までで一番フラットに観ることができた。同時に、ああ、あそこはやっぱりあれでよかったんだと思うところがいくつもあった。そしてやっぱり最後のエンドクレジットのところはグッときた。
上映後、時間がまだあるとのことでそのままそこで質問を受けた。
映画関係のライターの方なども何人か来てくださっていた。
映画を製作することになった経緯などをお話しする中で、かめ設計の羽渕さん、山田さんやチカオさん(ジジ)を紹介したりした。ジジは立ち上がって、素晴らしい信級の映画をありがとうと何度も言ってくれて、私は完成してほんとうによかったなあと改めて思った。すると和正さんもすっくと立ち上がり、信級の写真集を20年前につくったけど、今度は映像ができてよかったと話を始めた。すると今度は話が長くなりそうだと思った隣に座っていた純子さんが立ち上がって自己紹介をしたり・・・と、なんとも信級らしい感じになって私は嬉しかった。

そしてロビーに出て、そこでしばし歓談が続いた。
ロビーは喜びと嬉しさに溢れていた。みんなが話している光景を私はずっと見ていたかった。
そして打ち上げへ。3月のダビングミックスの時に、私が偶然見つけた大塚駅近く「のぐい呑み大」。
ここには美由紀さんが醸した「十九」も置いてあり、自家製の糠漬け、地元の厚揚げなど、料理がとても美味しかったので、初号試写の打ち上げはここでやりたいと思っていたお店だった。
人数も8人くらいだったので、予約を取ることができた。
あとで美由紀さんに聞いたのだが、このぐい呑み大は、美由紀さんが十九を醸し始めた時からの付き合いで、ずっと応援してくれてたお店だそうで、「そこで打ち上げをやってくれたなんて・・・」と喜んでくれた。
打ち上げは、もう最高に楽しかった。元スタッフの岸ちゃんと柳屋さんを会わせることができたのも私は嬉しかった。編集の小原ちゃんは、「見上げてごらん」の試写が終わってから打ち上げに合流した。
そして、かれこれ20年くらい私の映画づくりを応援してくれてる吉田さんも参加してくれた。私の映画について熱く語ってくれた。初めてそんなふうに思っていてくれたことを知り感動した。そしてありがたいなと思った。
お料理は抜群に美味しかった。十九も、他のお酒もすべてが美味しく、ああ、映画を完成することができてほんとうによかったと心から思い、今のこのシアワセを味わった。
2026/07/14
「のぶしな」お披露目上映 新・しんとく空想の森映画祭
2026年5月23日
私が映画に関わっていくことになった原点でもある空想の森映画祭。
上映会場は、廃校になった旧新内小学校の校舎。校庭には大きな柏の木がドーンと立っている。
今回の映画祭では、やっと完成した出来立てほやほやの新作「のぶしな」をメインに、一作目の「空想の森」、二作目の「風のたより」と、ありがたいことに全作品を上映していただくことになった。
私にとって今までの集大成になるなあと思いながらのぞんだ。
新作の舞台となった長野県・信級からは、主人公の一人である植野翔さん、西川心一朗くんが参加してくれた。製作協力をいただいた方々に完成報告とお披露目上映のお知らせをしたら、何人もの方々が遠方から駆けつけてくれた。二作目から映画の題字とフライヤー・ポスターをお任せしている小菅健三さんは、娘さんと共に参加してくれた。
お披露目上映ということで、お客さんはどんな感じの反応なのだろうか、そして私は新内ホールで何を感じるのだろうかとワクワクしていた。
昼過ぎ、「のぶしな」の上映時間が近づいてくると、廊下は長蛇の列になっていった。その中には顔見知りの人たちが何人もいて、ああ、みんな見に来てくれたんだと、とても嬉しくなった。廊下は人でいっぱいになり、全員上映会場に入るか心配になるほどだった。満員御礼。ホールいっぱいのお客さんを感じながら私も映画を観た。ホールはとてもいい空気に包まれていた。
上映の後のトークの時間に観客の皆さんの前に立った。一緒に映画を観ていて、「のぶしな」が皆さんに伝わった感じがしていた。ほんとうに完成したんだという嬉しさ、今までこの映画に関わってくれたすべての人たち、新得まで足を運んで見に来てくれた人たちへのありがたさが心から湧いてきた。植野くん、心一朗くん、謙三さんを紹介しながら、観客の皆さんはどんな話を聞きたいのだろうかと考えながら話を進めた。
ホールの天井の太い柱を見ながら、小川のじいちゃんを想った。「ようちゃん、よくやったな」とじいちゃんの声が聞こえたような気がした。
小川豊之進さんは私が初めて映画(「森と水のゆめ」)の撮影のスタッフになった時の主人公のおじいちゃん。新得町新内に入植し、土地を開墾して牛を飼い、バン馬を育てていた。じいちゃんが馬に言って聞かせるだけで、ちゃんと言うことを聞いたというすごい人だった。新内ホールから坂を少し上がったところにじいちゃんの家があり、よく遊びに行っていた。じいちゃんはいつも丁寧に美味しいお茶を淹れてくれた。そしていろんな話を聞かせてもらった。私はじいちゃんが大好きだった。
「森と水のゆめ」が完成した時も、この場所でじいちゃんと一緒に舞台挨拶をした。撮影が終わってもお互いの家を行き来し、じいちゃんが亡くなるまで交流が続いた。新内ホールの天井のその太い柱は、この小学校を建てた時にじいちゃんが担いで持ってきたものだと聞いていた。だからじいちゃんのことを思い出したのだろう。そしてきっとこの場に来ていたに違いない。
あれからずいぶん時が流れたが、私は今も映画をつくり続けている。1回目の映画祭に参加した時に味わった感覚を、私はいまだに追い続けているのかもしれない。
今回のお披露目上映も、これから先もずっと心に残る記憶となった。思い出す度にじわーっと心があったかくなる。
お披露目上映も素晴らしいものだったのだが、今回はそれか終わってからの出来事も忘れ難いものとなった。
新作のお披露目ということで、各方面から映画祭に駆けつけてくれた。私の家の近くにある一軒家の大きな宿にみんなで泊まってもらい、上映の翌日に、近所の澤山農場、日勝峠の山神様、新得共働学舎を見学して十勝を味わってもらった。
宿での打ち上げは、地元清水町の仲間たちにも声をかけて、みんなでおいしくて楽しくて最高の夜だった。二作目で撮影させてもらった大沼の山田農場のチーズとワインを取り寄せてみんなに味わってもらったり、鹿追町で青空とポニーというお店をやっている吉崎さん、蕎麦屋をやっていた友人の千賀さんにお願いして、手作りのお料理を堪能した。途中、今回来られなかった編集の小原さんと電話を繋いでみんなの感想を直接話してもらった。小原ちゃんも「のぶしな」がみんなに届いて嬉しかったと思うしホッとしたと思う。
宴の翌朝、みんなが帰途につく日。キッチンや居間の片付けをしていた時のことだ。
東京から来てくれた山本梓さん(アズアズ)が、私に言った。
「陽子さん、これからのぶしなを一人で宣伝して上映して回るのは大変じゃないですか?」
私「うん、大変だと思うけど、できる限りやっていくよ。なんてったってすごくいい作品ができたんだから。」
梓「私、自分に何ができるか考えたんですけど、チームをつくってやっていきませんか。とりあえず、今ここに集まった私、陽子さん、植野くん、ケンゾーさんをコアメンバーとして。」
もう私は一気にテンションが上がった。三作目の「のぶしな」は初めてDCPという劇場規格で作品をつくった。だからなるべく劇場で上映したいと思っていた。その宣伝や営業を一人でやっていくのは限界があるとわかってはいたが、できるところまでやろうと覚悟していた。
願ってもない申し出だった。ありがとう!そうしよう!ということで、寝起きのケンゾーさんと植野くんと話をして、やろう!とすぐに決まった。
宿の片付けが終わりチェックアウトして、そのまま私の家へみんなで移動した。みんなが帰る時間までまだ少し時間があったので、早速のぶしな広報チームの話し合いが始まった。
今回の映画祭は、久しぶりに私の両親も来てくれた。父は風邪気味で体調があまりよくなかったけれど、お披露目上映ということで無理をしていた。私が映画祭の事務局をやっていた時にはよく来ていたので、懐かしい新得の人たちにも会いたかったのだろう。今回は父があまりに元気がなかったので私はとても心配だったが、友人のみわちゃんが宿の送迎やケアをしてくれたので、私は安心して映画祭に集中できた。映画祭期間、父と母とはほとんど話せなかったので、みわちゃんが気を利かせて両親を宿から空港へ送る途中に家に寄ってくれた。父は来た時よりだいぶ元気になっていて私はだいぶ安心した。
庭に出て、私はみんなを両親に紹介した。父が元気になってたので、私は父が得意なけん玉をいくつか出してきた。そして父が楽しそうにみんなにけん玉をレクチャーし始めた。ケンゾーさんの娘のハルさん、ケンゾーさん、植野くん、アズアズも夢中になってしばしけん玉で遊んだ。
庭は芽吹の緑が溢れていた。柔らかな春の陽射しが降り注いでいた。沙羅双樹の木にかけた鳥の巣箱から生まれたヒナたちの声が聞こえる。シジュウカラの親たちが交代でせっせとエサを運び込んでいる。母はそれを嬉しそうに見ていた。
私は木の下のちょうど木陰になったところに椅子を2脚置いた。沙羅双樹の木の下で、父と母は巣箱を見上げながら二人で楽しそうに話をしている。
ケンゾーさんがその姿を家の中から見ながら「なんか人生フルーツみたいだなあ」とぽつりと言った。
私はその映画は見たことはないけれど、ケンゾーさんの言っている意味は伝わってきた。そして芽吹の緑と柔らかな春の陽に包まれた両親の姿を見ていたら、何故か急に泣けてきた。感謝が溢れてきた。どんな時も私を応援し、支えてくれる両親。私はそのお返しがいまだにできていないけれど、今この時を、大切な友人たちと父と母と共有していることは、何かとても特別な時間と空間のように感じていた。
私は涙を拭いて庭に出て父と母の元に座った。神様が用意してくれたような帰るまでの少しの時間を、沙羅双樹にかけられた巣箱を眺めながらたわいのない会話を楽しんだ。
両親が空港に向かった後も、インスタの開設のこと、来月にあるDCP初号試写会のことなど、みんなで時間ギリギリまで話し合いをした。そして時間となり、アズアズ、ケンゾーさんが帰っていった。
残った植野くんと私は、庭に寝転がって空を見ていた。不思議とそんなに疲れていなかった。それよりもこれからのワクワクする気持ちの方が大きかった。ああ、いい映画祭だったなあとしみじみと思った。
お披露目上映も大盛況で、見た人の心に届いたようだったし、地元の仲間たちと映画関係の仲間との交流ができたのも嬉しかった。
そして最終日に思いもかけず、広報チームが立ち上がった。こんな展開になるなんて夢にも思っていなかった。これから一人じゃなくて、チームでやっていけるなんて、嬉しすぎる。しかもすごいメンバーだ。もとより、自分にできることはすべてやって、これだという作品になったから一ミリの後悔もない。多くの人に見ていただきたいから、そのためにできることをやるだけだ。それにしても、一緒にやってくれる仲間がいるってこんなにも嬉しく心強いものなんだなあ。
そして最後に植野くんを空港まで送った。
「最後のシーンが一番良かったですね。」
別れ際、植野くんがボソッと言った。私はてっきり映画「のぶしな」の最後のシーンかと思ってたら、さっきのうちの庭での両親と短い時間を過ごしたシーンのことだった。
私はジーンとしながら植野くんの後ろ姿を見送った。
2026/04/09
「のぶしな」 完成しました!
完成前試写会 信級にて
2026年2月19日
オフライン編集、オンライン編集が2025年4月に無事終了した。
あとはダビングミックスを待つだけだった。
録音・整音の柳屋さんのスケジュールがびっしりのため、ダビングミックス作業は2026年以降だった。
私は待ちきれず、信級の人たちに見てもらいたいと思い、整音前のものをDVDに焼いて信級へ向かった。
自分がいいなあと感じた信級をひたすらに撮って、これで撮ったと思えたところで撮影終えた。
そして、撮ったものから物語をつくっていくときにものすごく苦しんだ。
今まで、基本一人で編集をやってきた。
編集が作品の極めて大きな部分を占めることを体感してきている。
今回はその産みの苦しみとは別の、今までの自分を超えるための苦しみなのではないかと感じていた。
そんなもがいている時に、録音・整音を担ってくれた柳屋さんが編集の小原聡子さんを紹介してくれた。
そして、2025年夏、小原さんとの編集が始まった。
私は小原さんに、健康的な編集をしたいから、9時から5時まで、1時間に10分休む、週休2日。
と提案した。
小原さんもそういう編集がしたかったと思いは同じだった。
毎日がヒリヒリするような編集の日々だった。
小原さんの編集のやり方と私の編集のやり方は真逆に近かった。
東京に暮らす小原さんと北海道に暮らす私。
オンラインで編集作業ができるようにすることから始まった。
これにはずいぶん時間がかかった。
そして編集合宿を2回した。北海道の私の家に来ていただいて編集を一緒にした。
合宿して寝食を共にしたことでお互いの大事にしていることがよくわかり、
そのベースを共有できたことが、作品をつくる上で大きなことだったと今思う。
そして編集して1時間55分になった「のぶしな」。
小原さんと私の中で、最高の作品に仕上げた。
とはいえ、信級の人たちはどう感じるのか、とても気がかりだった。
撮影を終えてからずいぶん時間がったっていることもあるし、
ドキドキしながら信級で完成前上映をした。
ものすごいドキドキしながら信級へ行った私でしたが、
観ていたみなさんを見ていて、ものすごい手応えを感じた。
信級の重鎮のチカオさん、和正さん、石坂さんがとても喜んでくれたことだけでも
つくった甲斐があったと思う。
しかも、この日は和正さんの誕生日で、
みんなでハッピーバースデーの歌を歌ってお祝いもできた。
子どもらも面白かったって言ってくれたのもすごく嬉しかった。
チカオさんのお連れ合いの浩子さんが、言いたいこともあるけど、よかったよ。とニコニコ言ってくれたのもほんと嬉しかった。
もう、ほんとうに諦めないでよかったーーー、
生きててよかったーっと心から思った2026年2月19日だった。


















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