2020/01/31

信級日記 冬 vol.40





令和二年12月19日

8:30 朝食。ご飯、味噌汁。

今日はいよいよ水のパイプのチェックの日。
向かいの浅野さん、加藤さん、そしててっちゃんの3人が川に降りてパイプが詰まっていないか調べる。
てっちゃん水が

9:00 私と一坪くんは、外に三脚を立ててスタンバイ。



9:30 浅野さん、てっちゃんが川へ降りていく。
加藤さんも後に続いて川へ。
一坪くんもキャメラを持って川へ降りて行く。





川の水位はそれほど高くないが、流石に真ん中の方は膝下くらいの高さがあった。
浅野さんがジョイントの部分を外す。
小石が数個出てきたくらいだった。



これで水が出るようになったらラッキー。
もしちょろちょろのままだったら、てっちゃんの川からてっちゃんの家のラインに問題があるということなので、それは初めてのケースなので業者に見てもらうしかないということだった。



小一時間もかからず終わり、加藤さんの庭先でコーヒーをいただく。
加藤さんの奥さんのメリーさんがきゅうちゃんを保育園に送って帰ってきた。

加藤さんはご両親と一緒に隣の集落に宿をオープンしたそうだ。
一日1組限定の宿。
きっと素敵な宿なのだろうと思う。




加藤さんはその宿のお部屋に飾る炭盆を選びに隣の浅野家に移動。



浅野さんは東京へ持っていく炭盆を軽トラの荷台に積み込む。



その様子を撮影していると、てっちゃんがやってきた。
「水が出なくなった」
と。
あらら・・・

これは業者さんを呼んで直してもらわないといけないということになった。
そして撮影隊も困ったなあと。

そんな話をしていると、亡くなったマルカさんの息子さんが家の合鍵を浅野さんに渡しにやってきた。
誰も住む人がいなくなった家をお隣の浅野さんに管理してもらうことにしたそうだ。

マルカさんの息子さんが、
「水もお湯も出るし、布団もあるのでよかったら使ってください。」
と言ってくれた。
浅野さんが撮影隊の事情を話してくれていたのだった。

ありがたかった。

てっちゃんの家の水がとうとう出なくなったので、炊事と食事だけ使わせていただくことにした。



早速浅野さんが、家の中をざっと見せてくれた。
つい最近までマルカさんが暮らしていたんだなあと改めて感じた。
そして出来立ての合鍵を預かった。

早速マルカさんの家に炊飯器を持っていき、夜ご飯のお米をといで仕掛けた。

昼ごはんはひはら食堂へ。


信級に戻り、西川家に寄る。
西川さんは、冬は勉強とおさんどんをしているとのこと。
心ちゃんは午前はさぎり荘でバイト、午後は新居の側溝のコンクリを剥がす作業をするとのこと。


そして外鹿谷の柳久保の高桑さんの家へ。
高桑さんは岩下に田んぼを借りていて、
かたつむり食堂の常連さん。
一度おうちに遊びに行きたいと思っていた。
一坪くんは柳久保へいくのは初めて。
私も2回目だ。



小学校から下る坂の雰囲気はネパールに似ている。
柳久保のバス停で高桑さんと合流し、柳久保池を案内してくれた。
紅葉がとても綺麗だそうだ。
この池は通年を通して釣り人がやってくる。



そして自宅へ。
道路から少し降っていくと、高桑さんの家があり、開けた景色が広がっていた。

高桑さんは東京で子育てをしている時にノイローゼ気味になったそうだ。
そして水があって食べ物がつくれて果樹園のない土地を探した。
それで見つけたのがここだ。
初めは別荘的に使っていたのだけど、12年前に完全にここに移住したそうだ。
その当時、柳久保には10世帯が暮らす集落だったが、今は5世帯。子供は一人もいないそうだ。

ご主人と二人で暮らしていたが、数年前に亡くなり、今は一人だ。
時々子どもとお孫さんがやってくるそうだ。

お家の中も見せていただいた。
どかーんとした気持ちの良さそうな家だった。



土間には薪ストーブ。
机の上には藁が並べてあった。
自分でしめ縄をつくるそうだ。

薪ストーブを焚いてくれ、お茶をいただいた。

なんでも、庭の高い木を数本、空師のヒロシさんに切ってもらうことにしているという。
ヒロシさんの仕事を信級で撮影できたらと思っていたので、それはぜひ撮影させてくださいとお願いすると、高桑さんはヒロシさんに電話をかけた。
私にも代わってくれて直接お話をした。
タイミングが合えば2月に撮影できるかもしれない。

高桑さんの家を後にして、帰る道すがら小学校の手前の坂道で、
散歩していた和正さんの弟さんと会った。



そして心ちゃんの家へ。
心ちゃんは一人で側溝のコンクリートと格闘していた。




石、泥をどけ、コンクリを砕き、引き剥がそうとしていた。
側溝のコンクリは2メートル以上はあり、とても一人で動かせる重さではなさそうだった。




撮影をしていた一坪くんはキャメラを止め、手伝いに回った。
なんとかひっぺがすことができた。



自分の体と頭を使って一つ一つ、自分の場をつくっている心ちゃんがとても頼もしく見えた。

16:00 かたつむり食堂へ。
石坂さんは、先日罠にかかったクマの肉を捌いていた。
大きな樽いっぱいにクマの油、レバーなど。
もも肉は細かく切って、ジプロックに入れていた。
熊肉は味噌煮も美味しいし、焼いても美味しいそうだ。
クマ油はかかとのひび割れによく効くそうだ。




去年、西川さんが「空想の森」を信州新町で上映会を開催してくれた。
その時、もっと多くの人に、とりわけ高校生に見てもらいたいということで、
西川さんが娘のマヨちゃんが通っていた犀峡高校の水野先生に話をしたそうだ。

「空想の森」の上映に興味を持った水野先生がぜひお話をしたいということで
石坂さんにお願いして食堂を使わせてもらうことになった。




水野先生がやってきた。
そして今の犀峡高校の状況を話し始めた。
そして「空想の森」を試写のDVDで観て、こういう暮らしや生き方もあるということを生徒にも見せたいと思ったそうだ。
生徒たちの心に響くような授業をしたいとも話された。

西川さんもやってきて3人で話をした。

上映はぜひやりたいとのこと。
ただ、どんな風にやるかをこれから考えていきますと水野先生は言った。

生徒のために、とこんなにも真面目に考えてくれる先生がいること。
とても嬉しくなった。
私もできることは協力していきたいと思った。

帰り際、石坂さんが熊肉を分けてくれた。
「無理しないでここに泊まっていいんだよ」
と、また言ってくれた。

「ありがとうございます。向かいのマルカさんの家も使わせてもらえることになったから大丈夫です。」
と答えた。

そして宿舎へ帰った。
台所へ直行し、水をチェック。
やはり、水は出ない。

といいことで、てっちゃんが作った味噌汁、茶碗、味噌汁碗、ヤカン、はし、お茶などを持って、橋を渡ってマルカさんの家に移動した。



コタツもストーブもすぐついた。

仏壇にご挨拶。
てっちゃんも初めて家の中に入ったそうだ。

ご飯、味噌汁、缶詰。
3人で夕食。

食器を洗って、戸締りして、火を消して、戸締りをして、宿舎に戻る。

コタツに入って、碁の話になった。
一坪くんが最近碁にハマっているとのこと。

「うちの親父が碁が大好きで、小学生の時よく打ってるところを見ていたんだ。どこかに碁盤と石があるはずだ。」
とてっちゃんが言った。

「そこに入ってるかも。」
とテレビの下の収納を指した。

一坪くんが戸を開けて、中に入っているものを次々出していく。
軍手、折り畳み傘、タオルが山のように出てきた。

「ここに来て8年。そこ初めて開いたて見たわ」
とてっちゃん。

「えっーーー!」

一坪くんが要るものと要らないものに分けていった。

結局そこには碁盤はなかった。

私の使っている部屋の奥の部屋の押し入れの中かもしれない。
ということで、一坪くんがまた探しに行った。

布団や服などをかき分け、押し入れの中を捜索。
「あったー」
と一坪くんの声。

てっちゃんは、
「あったー!、あったー!よかったー!」
と、飛び上がらんばかりに喜んでいた。

てっちゃんのお父さんが、家に来た人とよく碁を打っていたその碁石と碁盤。
確かに碁石は、独特の石でなかなかいい。

「これ一坪くんにあげるよ。」
とてっちゃん。

一坪くんは大事な碁盤なので恐縮して断っていたが
てっちゃんがもらって欲しいということで、ありがたくいただくことにした。




そして早速コタツで二人で碁を打った。
私はまったくルールを知らないので見ていてもよくわからなかった。
一坪くんに言わせると、親父が碁を打つのを見ていただけというてっちゃんはものすごく強かったそうだ。
視覚的に打てるから相当経験があると思うと言っていた。

「あーよかったー!」と何度も何度もてっちゃんは言った。
碁盤が見つかってよっぽど嬉しかったのだろう。
嬉しすぎて焼酎を飲むペースも早かった。
最後はそのままコテンと寝てしまった。



2020/01/30

信級日記 冬 vol.39





令和二年12月18日

7:00 起床。朝食。

目につくところを掃除。

9:00 関口さんの炭小屋へ。
ちょうど窯に火をつけるところだった。
雨は少し降っていたが、風はなし。

木材をチェーンソーでカットし、
窯の中が満杯になるまで木材を入れていた。

白樺の皮がスターター。
北海道ではがんびの皮という。
私も薪ストーブをつける時によく使った。

関口さん、なかなかうまくマッチを擦れない。
「お願いがあります。マッチを擦ってください。」
と関口さんが私に言った。



無事に火がつき、白樺の皮を窯の中へ。
雨が降って湿っているので何度か白樺の皮に火をつけ窯に入れた。
そして手動の風を起こす機械をグルグル回して、火に勢いをつける。

イチローさんが散歩でやってきて、また大きな声で関口さんに話しかけた。
カナタに勤め出したカモちゃんも散歩で通っていった。



炭小屋の雨樋から落ちる雨水はドラム缶に溜まっていく。
なんともいい音だった。

そのドラム缶の水を汲み、窯の炊き口の脇の土の上に垂らし、灰や炭の砕けたものを混ぜ、スコップで練る。
その泥で焚き口の穴を塞ぐ。



一段落すると、
「中で座って話をしよう。」
と関口さん。



焚き口の前に座り、関口さんの話を聞いた。
炭のこと、信級のこと、中国旅行のことなど。



お昼の音楽が流れた。
午前中の撮影は終了。
関口さんも家へと戻っていった。

私たちも宿舎へ戻り、ご飯と味噌汁と缶詰で昼ごはん。





 13:30 午後の撮影へ出発。
川を挟んだ向かいの浅野家へ。
浅野さんは25日から東京へ炭盆を売りに出稼ぎに行く。
持っていく炭盆を選ぶ作業をしていた。



これだけたくさんの炭盆が揃っているところを初めて見た。




関口さんが焼いた炭を買い取り、
適当なサイズにカットし、植物を植える穴をあけ、
植物が大好きな奥さんのユミコさんが、植物を植え付け、
根付くまで世話をして、値段を決め、そして販売。



東京の駅の構内や百貨店などで対面販売をし、
お客さんに炭盆というものを説明しながら販売をしている。
枯れちゃったら、持ってきてくれたら植え直しもしてくれる。
炭盆が縁で信級にきてくれたお客さんもいるそうだ。





都会の暮らしにこそ炭盆は良さそうだ。
炭盆の小さな世界に季節を感じ、愛でられる。



少し大きめの赤い葉をつけた炭盆があった。
「これすごくいいですね。」
と私がいうと、
「これは浅野家の炭盆なんです。いつも販売用のばかりつくっていて、自分の家のがなかったので。」
と浅野さんが言った。
家族の人数と同じ4本の木が植えられていた。



雨もやんだ。
ユミコさんがお茶を入れてくれた。


そして今建築中の作業小屋を案内してくれた。
石坂さんに小屋のつくかたを教わりながらやっているそうだ。




それから、浅野さんは日向畑の貯水地に連れていってくれた。
歩いて10分くらいのところにあった。



中を開けて見てみると、
「今まで見た中で一番水が溜まってるー!
いつも水が出なくなったトラブルの時に来るからかー」
と浅野さん。



「水がいっぱい溜まっているって安心感がありますね。」



貯水槽の上にはいい苔が生えていた。
「これ、炭盆にいいんじゃない?」
と私。



帰り道、浅野さんがしみじみ言った。
「ここへ来る道、脇の草刈りとか、亡くなったマルカさんが一人でやっていたんですね。じゃないとこんな綺麗じゃないですもんね。」



水のトラブルの時は、マルカさんが、「じゃあ、あそこ見て見たら」
と詰まりやすい箇所、壊れやすい箇所を把握していた。
そのマルカさんが亡くなり、日向畑の水のことを知る重鎮がいなくなったのだった。



そして当信神社へ。
しめ縄を撮影。



23日、集落のみんなでこのしめ縄をつくるのだ。

17:00 宿舎へ戻る。
早く帰ってきたので、夕食を作ることにした。
私はご飯と味噌汁。一坪くんが白菜と鶏肉のカレー風味のおかずをつくる。

てっちゃんは最後のバイトを終え、風呂に入って帰ってきた。




3人で夕食。

19:30 さぎり荘へ一坪くんとお風呂に入りに行く。

柳屋さんに電話。
20日、信州新町までバスで来てもらうことにした。

帰ってきて23:00 就寝。




2020/01/29

信級日記 冬 vol.38


令和二年12月17日

7:00 起床。味噌汁を作り、簡単に朝食。

台所は大きな窓がある。
雨が少し降っていて、山に雲がたなびいていた。
一坪くんは外に撮影に出た。

私は台所、洗面台など掃除。

浅野さんがヤカンを持ってきてくれた。

てっちゃんの家が水がちょろちょろしか出てないこと、浅野さんは知らなかった。
向かいの浅野さん、加藤さん、亡くなったマルカの兄さんの家は
同じ水源から水を引いている。
川を挟んだてっちゃんちだけ水の出が悪い。

「吉澤さん、言ってくれればいいのに。川を渡しているパイプが詰まっているかもしれない。一度チェックしてみましょう。教えてくれてありがとうございます。」
と浅野さんは言った。

雨が小降りになってきた。
撮影に出発。
長者山方面へ車を走らせる。
どんどん天気が良くなってきた。

開けて集落が見える場所で車を止め、撮影。
雲が湧いてたなびいて。幻想的。
刻々と変わる風景。

長者山の駐車場まで行き、展望台まで歩く。
雲がかかり眺めはよくなかった。



引き返す途中、関口さんの土蔵と畑で撮影。
前に降った雪が草の上に少しあった。

雲が下から上がってきたり、急に強い風が吹いたり、
雨がバラバラ落ちてきたり、目まぐるしく天気が変わった。




お昼になったので、さぎり荘へ。
私はカレー、一坪くんはカツ丼。





そして信級のホープ、心ちゃんの新居へ。
心ちゃんは、イチローさんの家の川を挟んだ向かい、平林さんの裏の家に自分の居を構えることにしたのだ。



行ってみると、家の裏手で何やら作業をしていた。
家の中にあったものを全て出し、自分の荷物の運び込みは終わったそうだ。
家の前には、窯もつくっていた。

ただ、馬屋だった部屋の下に水が溜まっていた。
このままだと住めないので、外のコンクリの側溝を外して馬屋の地面よりも低くして排水できるようにしようと、妹のマヨちゃんと作業しているところだった。
マヨちゃんは心ちゃんの家の部屋を借りて木工の工房を作りたいそうだ。

それを手作業でやっているのがすごい。
大変なことだ。

「根雪になる前に終わらせたいです。」
と心ちゃんは言った。

心ちゃんの家を後にして、車を走らせていると、
関口さんの家の近くで、石坂さんとシェーンに会った。
「かたつむりに泊まっていいんだよ。台所も使えるし。」
と石坂さん。
撮影隊がてっちゃんの家に泊まっていることを
大丈夫かしらと心配してくれている。

「今のところ大丈夫です。どうしてもの時、泊まらせてもらいます。」
と私は言った。





そして関口さんの炭小屋へ。
ちょうど、窯の中へ炭にする木材を運んでいるところだった。
サービス精神旺盛な関口さんは仕事の手を止めて話をはじめた。



「いつも仕事の邪魔をしてしまい悪いので、仕事を続けてください」とお願いした。

いつもはそれでも座って話をし始める関口さんが、今回は仕事の続きを始めてくれた。
私たちは邪魔にならないよう撮影を開始。
こうして、関口さんの炭焼きの仕事をしているところを、私たちは初めて撮影できた。



炭窯の中いっぱいに木材を詰めていく。
穴を泥で塞ぐ。



ああ、こうやって何十年も信級で炭を焼いてきたんだなあ。





途中、イチローさんがやってきた。
いつもの散歩コースとのこと。
相変わらず大きな陽気な声。



もう一人、農機具の会社の人もやってきた。
しばし3人でおしゃべり。

信級の過疎化。このままだと集落として成り立たなくなってしまう。
どうしていったら活性するか、他の過疎の集落の人たちと交流して話し合いをしたい。
関口さんは、いつも言う。

16:00 暗くなってきた。関口さんは仕事を終わらせ、家に帰っていった。
明日、火入れをやるかもしれないとのこと。
明日も来てみよう。


そして夕景を撮りに、まだ行ったことのなかった林という集落へ。
浅野さんの家の前の道を登ってゆく。




山の上の方に集落があった。今は2軒住んでいる人がいる。
また違った雰囲気で、見える景色が違う。

見晴らしのいいところを見つけた。車から降りて撮影する。
いい眺めだった。




日も暮れたので、宿舎へ帰る。
てっちゃんがバイトから帰ってきていた。
バイトは明日が最終日になったそうだ。
浅野さんがきて、水のパイプのチェックを19日にやろうと伝えにきてくれた。

遅くなったので、3人でさぎり荘へ行く。
温泉に入り、晩ご飯はジンギスカンを食べた。
美味しかった。