朝起きて、みんなで古滝屋自慢の温泉に入りました。
大浴場は違った趣向を楽しめるように何種類もありました。
そして朝御飯をいただき、みんなと別れ、私はスタディーツアーに参加します。
今回は楢葉町、浪江町、富岡町の沿岸部を1日かけて見て回るスケジュールを組んでくれました。大学生のグループも参加して総勢25人ほどのメンバーで出発しました。
里見さん、坂本さんがマイクを持って案内をしながらのツアーが始まりました。
里見さんは、初めにこんなことを私たちに語りかけました。
テレビや新聞の情報だけでなく、現場に立って、実際に自分の目で見て、感じて、
そのことを自分の家族、友人、仲間に話をしてほしい。そしてこれからも、このスタディーツアーを続けていきたい。と。
私は深く共感しました。
そして、行った先々で写真など自由に撮って構いません。
ツアーを始めた頃、参加者の方々が遠慮して写真をとらなかったので、初めに言うことにしていますと里見さんは言いました。
放射能、放射性物質の違いなどの基本的な説明をしてくれました。
今日の行程で線量の変化をみんなで見てみましょうということで、
里見さんから線量計を渡されました。
これはいわき市内です。
四倉から高速にのりました。
ここは楢葉の手前あたり。放射性廃棄物の入った黒いフレコンバックが空いている土地に積み置かれています。
このような風景は高速から何度も見ることになります。
楢葉のパーキング。
線量計が設置されています。
ところどころ高速道路の脇にも線量計があり、今の線量が表示されていました。
私たちのバスの運転してくれた浜通り交通の高木運転手。
実は昨日が誕生日で仕事だったので、本当は今日休みたかったのですが、
スタディーツアーの仕事と聞いて、今日の運転を買って出たそうです。
普通の観光の仕事よりも、このスタディーツアー運転の方がやりたいのだそうです。
運転中も、また現場に降りてからも、積極的に話をしてくれました。
どのくらい放射線を浴びたか累計するバッジをつけています。
浪江駅。
2017年4月から鉄道が再開しました。
ただ、浪江ー富岡間はまだ開通していません。
この間は代行バスが走っています。
浪江町は2017年3月に避難指示が一部の地域を除いて解除されました。
帰ってきた人は、全体の2%くらいだそうです。
海の方へ向かうと、このような風景が広がりました。
震災前はびっちり住宅地だったところだそうです。
ここにたくさん家が立ち並び、当然店もあって、多くの人たちの暮らしがあって、日々生きていたんだろうなあ。
100人ほどの生徒が通っていたそうです。
海から500メートルのところに建つ。
津波がきましたが、2キロ先の大平山へ避難して全員無事でした。
校舎の裏に回りました。
前に見えるこんもりした山が、請戸小学校の子供たちが逃げた山です。
町は原発の作業員の方や太陽光パネルの取り付けの工事の方などが多く住んでいます。
なので、コンビニやスーパーなど、少ないですがお店が開いています。
事業主が空き家になった家の持ち主さんと交渉して、家を借り上げ、工事の期間中、作業員の方を4、5人の住居にしているスタイルが多いそうです。
役場にマルシェがありました。
この日は日曜日。
あいている店は、さらに少なくなります。
私たちの昼食はここでとる予定でしたが、休日でお店も閉まっていたり、早く店じまいしていたりしてここで食べられませんでした。
少し走って、日曜日でも空いているスーパーで、お弁当を買ってみんなで食べました。
まだまだ立ち入りを制限されているところがあり、その入り口にはバリケードが立ち、警備の方が立っています。
福島第一原子力発電所。
富岡駅で日向ぼっこしているお二人に声をかけられました。
太陽光パネルの設置の仕事で、広島から富岡町にきている方でした。
半年ほどの契約で、まだ期限まで何ヶ月も残っていますが、
もう広島へ帰りたいっとぼやいていました。
住居は、会社が借り上げた一軒家に5人ほどで住んでいるそうです。
店もなく、飲み屋もない。
飲みに行くとしたら、いわきまで電車に乗って行くしかないのがけど、
終電が8時頃という。
仕事が休みの日曜日は行くところもなく、こうして駅で日向ぼっこしているそう。
富岡駅は海のすぐ近く。
津波で駅舎はもっていかれ、新しい駅舎になっています。
このパトカーに乗って住民に避難を呼びかけた二人のおまわりさんが津波に飲み込まれ、亡くなりました。
一人の方のご遺体はまだ見つかっていません。
最後まで職務を全うされた双葉警察署の増子警視と佐藤警部にみんなで感謝を捧げました。
富岡町の桜の名所。
2.2キロに渡って桜のトンネルができる富岡町・夜の森地区。
そのうち1.9キロはまだ期間困難地域に指定されています。
バリケードの向こうが帰還困難地域。
当時まだ小さかった娘さんのことを考え、奥さんと娘さんと2年半ほど別々に暮らしたことなど、坂本さんが、震災の時のことを話してくれました。
みんなそれぞれ震災、そして原発事故の時に考え、決断してきたのだけど、やはり福島は物理的に距離が近い分、どれほど切迫した気持ちだったのだろう。
楢葉町の木戸の交民家。
多くの被災家屋が解体されている中、この古民家を再生・活用してこの場所を地域コミュニティーの交流の拠点にしようと取り組んでいます。
運営しているリキッドの代表の緑川英樹さんのお話をお聞きしました。
田んぼや畑もやっていきたいと話していました。
古民家の前の畑に、玉ねぎを植えたそうです。
こうしてスタディツアーを終えました。
建物があるのに人がいない町、
前は住宅が立ち並んでいたところが、津波でさらわれた海辺の地帯。
明らかに違う空気が流れていました。
実際自分がそこに立ち、空気を吸ってみなければ感じられないことがたくさんありました。
そして自分生まれ育ったいわき・福島県が大好きで、活気あるいいところにしたいと願う里見さんや坂本さん、高木運転手の思いに触れて、心動かされました。
被災地の今を自分の目で見たい方は、古滝屋のスタディーツアーにぜひ参加してみてください。
今回、参加させていただき、本当にありがとうございました。
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